この3月11日で、東日本大震災発生から満12年となりました。
犠牲になられた皆さまのご冥福をお祈りいたします。
12年前に発生した東日本大震災は、六郷小150年の歴史の中でも、最も大きなできごとの一つです。
六郷地域の東側の津波被災地域を中心に、六郷地域全体で126名の方が犠牲になりました。
また、もともと暮らしていた地区を離れざるを得なかった方、生業を失った方、…何らかの影響を受けた方はたくさんいらっしゃいます。
学校について言えば、平成29年(2017年)に東六郷小と六郷小が統合することになったのも、学区全域が津波被害を受けた東六郷小の児童が減少した結果です。
当時の東六郷小学校学区4地区(藤塚・井土・種次・二木)はもちろん、六郷小旧学区内でも、三本塚、下飯田、今泉地区については大きな津波被害がありました。事前に示されていた予測を大きく超え、海岸線から約4㎞、六郷小・六郷中敷地のすぐ横まで、津波は到達しました。
子どもたちも、避難所や仮設住宅への仮住まいなど、長期にわたって厳しい暮らしを送った人は少なくありません。当時六郷小に勤務していた先生からは「被害のあった子のケアをする上で、同じクラスの中に大きな被害を受けた子と何か月かしてすっかり元通りに暮らしている子と一緒にいて温度差が大きいことによる難しさを感じる」とも聞きました。
そもそも小学校が再開するまでにも、時間を要しました。
避難所として多くの避難者を受け入れた六郷小は、途中、耐震性の課題が明らかになった体育館を閉鎖して規模は縮小されたものの、最終的に4月14日まで35日間の避難所運営がされました。学校の再開は、4月18日からとなりました。
上記は、東日本大震災のごく一端に過ぎません。
しかし、あらためて書いていくと、東日本大震災について記憶に残しておくべきことの多くは、あまりまとまった記録として残されていないのではないか…という印象があります。
12年前、平成30年度に生まれた子たちも間もなく卒業です。これから先は、全児童が震災発生後に生まれた子ということになります。大人にしても、震災発生後に移り住んできた方も少なくありません。
先生方もおっしゃっていますが、いかに伝えていくかは、やはり大きな課題です。
六郷地域にとって、決して「過去のこと」ではない震災。
本ブログでも、あらためて取り上げたいと思います。
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